最近、
「悪人がいる事故」より、
「誰も悪くない事故」
のほうが怖い。
そう思うことが増えた。
父を助けた女性が骨折した
以前、
庭で転倒した父を、
通りがかりの女性が助けてくれたことがあった。
でもその女性は、
父を起こした拍子に転倒し、
圧迫骨折になった。
父は無傷だった。
最初私は、
状況が理解できなかった。
道路に女性が倒れていて、
軽トラが止まっていて、
父が庭にいる。
事故なのか、
事件なのか、
誰が被害者なのか、
一瞬分からなかった。
でも整理すると、
- 父 → 転倒
- 女性 → 善意で助ける
- 結果 → 女性が骨折
だった。
誰も悪人ではない。
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なのに、「責任」の話が始まる
その後、
私は保険会社に相談した。
すると、
「かなり珍しいケースだけど、
保険対象になる可能性はあります」
と言われた。
私はそこで初めて、
「こういう善意の事故でも、
“責任” の話になるんだ」
と思った。
しかも、
さらに印象に残ったのは次の言葉だった。
「知り合いやご近所ほど、
保険を入れると険悪になることがあります」
だった。
法律だけでは動かない
今回の件、
法律だけで整理すると、
- 誰が悪い
- 過失は
- 責任割合は
みたいな話になる。
でも実際の空気は、
そんなに単純じゃない。
だって、
- 助けようとしてくれた
- 悪意はない
- ご近所
- 昔から知ってる
が全部ある。
だから逆に、
保険や責任の話が入ると、
関係そのものが壊れることがある。
私はそこが、
妙にリアルだと思った。
「助けないほうがよかった」になる怖さ
最近、
少し怖いのはここだ。
もし善意が事故につながるなら、
「もう助けないほうがいい」
になってしまうかもしれない。
でも、
それも違う気がする。
私は、
父を助けてくれたこと自体には、
感謝しかない。
ただ同時に、
善意でも、
人は簡単にケガをする
現実も見た。
最近、「生活は脆い」と思うようになった
昔の私は、
もっと分かりやすい危険ばかり考えていた。
- 防犯
- 強盗
- 不審者
- クマ
でも最近、
少し違う。
今気になるのは、
- 転倒
- 体調
- 判断
- 加齢
- 物忘れ
- 手続き
- 保険
みたいな、
「普通の生活が崩れる瞬間」だ。
しかもそれって、
悪意なしでも起きる。
私はそこが、
最近少し怖い。
「私は大丈夫」が一番危ういのかもしれない
さらに最近、
高齢運転や体調急変のニュースを見るたび、
考える。
たぶん人って、
みんな、
「自分はまだ大丈夫」
と思いながら生きている。
でも実際には、
- 反応
- 体力
- 判断
- 記憶
は、
静かに変わる。
私自身も最近、
- スマホを置いてくる
- 「首からぶらさげなきゃ」が口癖
- パスワードが怪しい
みたいなことが増えた。
だから今、
防犯よりも、
「生活能力を失わないこと」
のほうが気になっている。
まとめ|悪意より、善意と偶然のほうが静かに怖い
私は最近、
ニュースを見るたび少し考える。
生活って、
- 悪意
- 犯罪
- 危険人物
だけで壊れるわけじゃない。
- 善意
- 加齢
- 思い込み
- 偶然
でも、
静かに揺らぐ。
だから今日も私は、
- 保険
- 車間距離
- スマホ
- 首からぶらさげる物
について考えている。
家族に、
「また始まった(笑)」
と言われながら。

